韓国歴史ヒストリア

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白光炫(ペク・グァンヒョン)

      2012/11/26

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白光炫(ペク・クァンヒョン:백광현)という人物をごぞんじでしょうか?

現在のところ、よっぽど朝鮮王朝実録に精通している人でなければ知らない名前だと思います。

第11代中宗(チュンジョン:중종)の主治医となった大長今(テジャングム:대장금)同様、朝鮮王朝実録にその名が4回しか出てこない人物です。

大長今を引き合いに出したことでわかったかもしれませんね。そう、2012年9月から放送予定のイ・ビョンフン監督作品馬医(馬醫:マウィ:마의)の主人公の名前です。(馬医 イ・ビョンフン監督最新作発表も参照してください)

 

誕生年も没年も不明な白光炫(ペク・グァンヒョン)第18代顕宗(ヒョンジョン:현종:在位1659-1674)第19代粛宗(スクチョン:숙종:在位:1674-1720)の時代に活躍した医官で、馬を診る馬医(マウィ)から王の主治医・御医(オウィ:어의)となった人物です。粛宗はトンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)の夫ですので、馴染み深い王ですね。

本貫は林川(イムチョン:임천)字は叔微(スクミ:숙미)です。

最初に白光炫(ペク・グァンヒョン)の名前が出てきたのは顕宗改修実録です。顕宗実録は党派間闘争の影響もあって大幅に改修されたのですが、その改修後の実録の1670年(顕宗11)8月16日の記述に、王の治療が成功し他の医官とともに褒美を貰ったことが記載されています。一番最後に名前が出ることから分かる通り、当時の官位は御医ではありませんでした。

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そもそも白光炫(ペク・グァンヒョン)が馬医から御医にまで昇りつめたことからもわかるように、彼は破格の待遇を受けました。それどころか、医官の身で1683年には県監に抜擢されたし、のちには正1品・領敦寧府事(ヨントンニョンブサ:영돈녕부사)にも叙せられています。このようなことをするのはあの王しかいませんね。その人生、ちゃぶ台をひっくり返し続けた粛宗です。

19世紀の識者・張志淵(チョン・ジヨン:장지연)は彼を白太医(ペクテウィ:백태의)と呼び「皮膚にできる可能性のデキモノを鍼により外科的治療を行った最初の人」と言っているように、朝鮮での外科的治療の元祖といえます。

 

ドラマとしての馬医(馬醫:マウィ:마의)の注目点は、トンイと重複する時代をどのように描いていくのかというところでしょう。

トンイには出て来なかった大物たち、たとえば、西人(ソイン:서인)の領袖・宋時烈(ソン・シヨル:송시열)や南人(ナミン:남인)の領袖・閔黯(ミン・アム:민암)などです。党派間の理論闘争が激しかった時代ですので、そういった描写も見ものです!

馬医(マウィ:마의)解説サイト

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