韓国歴史ヒストリア

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王女の男18話 死六臣捕縛の史実は?

      2012/11/26

王女の男(原題:公主の男:コンジュエ ナムジャ:공주의 남자)18話。

1455年閏6月11日に首陽大君(スヤンテグン:수양대군)が王位についた1年後の1455年6月1日、世祖(セジョ세조)暗殺計画が実行の寸前で中止されます。

1456年6月2日の実録にはその詳細が長々と綴られています。

ドラマの描写のように、世祖を正式に朝鮮王に冊封する明の使者・冊命使(チェクミョンサ:책명사)を歓待する宴が上王(サンワン)となった端宗(タンジョン:단종)の住む昌徳宮(チャンドックン)で催されました。

このような宴の席では礼式にのっとり 別雲剣(ピョルウンゴム:별운검)が王の両脇を固めます。単に雲剣とも言いますが、高位の武人がこの任に当たります。

暗殺計画を立案した成三問(ソン・サンムン:성삼문)たちは、彼の父・成勝(ソン・スン:성승)、さらに兪應孚(ユ・ウンブ:유응부)、朴崝(パク・ジェン:박쟁)が別雲剣に任命されたため、彼らによる世祖暗殺を企てたのでした。

けれども、宴の当日(6月1日)、世祖は会場が狭いことを理由に韓明澮(ハン・ミョンフェ:한명회)に命じ別雲剣たちを下がらせます。成三問は礼式に則り別雲剣を残すべきだと主張しますが結局聞き入れられませんでした。これにより、暗殺計画は一旦延期となります。そして、この不運が裏切りを生み、さらなる悲劇を生むのです。

実録に綴られている6月2日。暗殺計画に加担していた集賢殿(チッピョンジョン:집현전)出身の成均館(ソンギュングァン:성균관)司芸(サイェ:사예)金礩(キム・ジル:김질)が、姑の右贊成(ウチャンソン:우찬성)鄭昌孫(チョン・チャンソン:정창손)に事の次第を打ち明け、二人で世祖の元を訪れ洗いざらいを報告します。

このとき、もちろん金礩は暗殺計画に加担したことを伏せ、不穏な動きを知ってしまったので報告に上がったとごまかしています。また、一説には、暗殺が成功した暁には元老の鄭昌孫を領議政(ヨンイジョン:영의정)にしようと暗殺計画に引き入れたものの、逆に説得されて裏切ったと言われています。

すぐに成三問ほか承旨(スンジ:승지)たちが呼び出され、そこで成三問は世祖にあれこれと問われます。成三問は当初星変(ソンビョン:성변)のことは知っているし、心配して仲間と語ったとしらを切ります。当時は天文に異変は国家にとって重要なものでした。

けれども、すでに金礩からすべてを聞いている世祖は直ちに義禁府(ウィグンブ: 의금부)を派遣し、以下のリストの死六臣(サユクシン:사육신)と言われる6名のほか、総勢70名ほどが捕らえられました。

  • 成三問(ソン・サンムン:성삼문:1418-1456)  正3品・左副承旨(チャブスンジ:좌부승지)
  • 朴彭年(パク・ペンニョン:박팽년:1417-1456)  従2品・刑曹参判(ヒョンジョチャムパン:형조참판)
  • 河緯地(ハ・ウィジ:하위지:1412-1456)  従2品・礼曹参判(イェジョチャンパン:예조참판)
  • 李塏(イ・ゲ:이개:1417-1456)  従3品・直提学(チクジェハク:직제학) おそらく集賢殿
  • 柳誠源(ユ・ソンウォン:유성원:?-1456)  正4品・直集賢殿(チクチッピョンジョン:직집현전)
  • 兪應孚(ユ・ウンブ:유응부:?-1456)  従2品・同知中樞院事(トンジチュンチュウォンサ:동지중추원사) ※彼のみ集賢殿出身ではない

※柳誠源は計画がばれたことを知り自宅で自害します。

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