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王女の男 第6回 文宗の死と顧命の史実とは?

      2012/11/26

王女の男(原題:公主の男:コンジュエ ナムジャ:공주의 남자)第6話。

第5代文宗(ムンジョン:문종)が、1452年5月14日、わずか2年の治世で身罷ります。

王女の男の中で文宗は死に際に、あらかじめ内官に渡しておいた教旨が安平大君(アンピョンデグン:안평대군)に渡りました。

そして、首陽大君(スヤンデグン:수양대군)が秘密裏に用意しておいた教旨を利用して摂政の座に着こうとするのを防ぐとともに、金宗瑞(キム・ジョンソ:김종서)を左議政(チャイジョン)の座に着けました。けれども、これは史実とは大きく異なります。

それというのも、文宗の死においては顧命(コミョン:고명)がとても重要になるからです。顧命とは簡単に言えば王の臨終間際の遺言で、王亡き後の体制にとって、とても重要なものです。そして、この顧命は文宗の死におけるものが特に有名で、顧命といえばほとんどの人がこのときのことを想像します。

顧命を聞くのは一般的に現役や歴代の三政丞(サムジョンスン: 삼정승)です。彼らのことを顧命大臣(コミョンデシン:고명대신)と呼びますが、実際に文宗が亡くなる時に顧命を聞いたのが、領議政(ヨンイジョン)皇甫仁(ファンボ・イン)、左議政(チャイジョン:좌의정)南智(ナム・ジ:남지)、右議政(ウイジョン:우의정)金宗瑞(キム・ジョンソ)です。このことからもわかるように、ドラマのように罷免されていたわけではありません。

王女の男では顧命大臣と首陽大君(スヤンデグン)の対立関係をわかりやすくするために演出を簡略化したのでしょうが、史実では首陽大君はこの時期にあからさまに実権を握ろうとしていたわけではありません。正確に言うと、野望はあったにせよ露骨に出すことはありませんでした。たとえ世宗の嫡出子であっても、王座への野望を見せた瞬間それは謀反以外の何ものでもないからです。

いずれにしろ、今後、顧命大臣v.s.首陽大君(スヤンデグン)の構図で歴史的大混乱が巻き起こります。それについてはまた後日紹介します。

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