韓国歴史ヒストリア

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王女の男最終回 禁断の玉手箱を開けた王?

   

王女の男(原題:公主の男:コンジュエ ナムジャ:공주의 남자)最終回(24話)。

まずは時系列でドラマと史実の差異を見ていきましょう。

1467年5月、李施愛(イ・シエ:이시애)の乱が発生します。ドラマではこの乱にスンユも加担したことになっています。約1ヶ月前に咸吉道観察使(ハムギルド クァンチャルサ:함길도 관찰사)に任命された申㴐(シン・ミョン:신면)はドラマの通り乱の鎮圧に乗り出しますが戦死します。

ドラマではなぜか韓明澮(ハン・ミョンフェ:한명회)が乱の平定に乗り出していますが、彼とシン・ミョンの父である申叔舟(シン・スクチュ:신숙주)は李施愛(イ・シエ)側の策略により謀反の嫌疑がかけられ、疑心暗鬼となった世祖(セジョ세조)によって両者とも投獄されてしまいます。

史実で参戦していたのは世祖から可愛がられ重用されていた27歳の甥・亀城君(クソングン:구성군) 李浚(イ・ジュン:이준)です。彼は四道兵馬都摠使(サド ピョンマ トチョンサ:4도병마도총사)という大権を与えられました。(※クソングンは現代風にはクィソングンとなります)

乱は8月に平定され事なきを得ますが、世祖にとっては心身を耗弱させる出来事でした。

 

さて、今回の記事の題は「禁断の玉手箱を開けた王?」としたのですが、それには理由があります。

先述の通り1467年8月にイ・シエの乱は平定され、キム・スンユが捕縛されたのも同時期と思われます。その数年後白髪となった世祖中殿(チュンジョン:중전)とともに温陽行宮(オニャンヘングン:온양행궁)へ保養に向かい、その途中でスンユとその子供を見かけ、セリョンの姿も垣間見るというシーンがありました。

中殿も内官も同じように白髪混じりで歳を取っていましたが、これはとてもおかしいことなんです。 イ・シエの乱平定の約1年後の1468年9月8日、世祖は52歳で崩御します。たった1年であの変わり様。「う~ん」と唸らずにいられませんでした。

実際のところ晩年の世祖はかなり体調を崩しています。イ・シエの乱の間の6月に、ある悪夢を見ました。ドラマでは端宗(タンジョン:단종)の涙により皮膚がただれていましたが、野史では端宗の母・顕徳王后(ヒョンドンワンフ:현덕왕후)から夢のなかで唾をかけられて皮膚の病気が進行しました。近年の研究では世祖はハンセン病にかかったのではないかと言われています。

世祖は朝鮮王でありながら仏教に帰依しました。朝鮮=儒教というイメージがあると思いますが、儒者の朝廷への進出が盛んになったのは、彼の孫・第9代成宗(ソンジョン:성종)のころからで、世祖のころには儒者にはたしなめられるものの、完全に仏教を排除してはいませんでした。

甥から王位を簒奪した非情の王というイメージの強い世祖(セジョ세조)。彼は常に極悪人のような扱いを受けており、ドラマでもそのように描写されてばかりいます。一方で生まれたての国家の整備を行い、朝鮮王朝が500年続く礎を築いた人でもあります。

王女の男でもそのイメージを踏襲してそこに野史を絡ませてラブストーリーを作り上げていますが、彼の国家を思う大志をクローズアップして苦悩に満ちながら国家500年の計を実行していく姿というのも、見てみたいような気がします。

最近では朝鮮3大悪女の一人チャン・ヒビンも再評価されてきていますので、そろそろそんなドラマも創られるかもしれませんね!

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