韓国歴史ヒストリア

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王女の男 第一回 宗学とは?

      2012/11/26

王女の男(原題:公主の男:コンジュエ ナムジャ:공주의 남자)が始まりました。

第一回はイントロということもあり、登場人物の紹介やその関係性に重点が置かれていました。

その中でも男性主人公・金承琉(キム:スンユ:김승유)敬惠公主(キョンヘコンジュ:경혜공주)と入れ替わった李世姈(イ・セリョン:이세령)に儒学を教える宗学(チョンハク:종학)が印象的だったのではないでしょうか?

というわけで、宗学(チョンハク)について紹介していきます。

宗学(チョンハク:종학)

王室のことを宗室(チョンシル:종실)といい、王族のことを宗親(チョンチン:종친)ということからもわかるように、宗学(チョンハク)とは王族に対する教育のことを言い、その官庁を指すこともあります。

文宗(ムンジョン:문종)首陽大君(スヤンテグン:수양대군)の父・第4代世宗(セジョン:세종)が1428年(世宗10)に半島の王朝としては初めて設けた王室専用の教育機関です。

宗学(チョンハク)の宗学官(チョンハクグァン종학관)は中国宋王朝の制度にならい、朝鮮の最高学府・成均館(ソンギュングァン:성균관)の博士が兼任しました。

教師には成均館従3品司成(サソン:사성)、正5品直講(チッカン:직강)、従6品主簿(チュブ:주부)が各1名、追加で正4品司藝(サヨン:사예)が2名、教育に当たりました。もちろん、生徒数に応じて増減があり、最大10名になったこともあります。

敬惠公主(キョンヘコンジュ)にからかわれて退散した教育係もキム・スンユも、ドラマの設定では正5品直講(チッカン)です。

第3代太宗(テジョン:태종)も続く世宗(セジョン)も子沢山でした。朝鮮も建国間もない時期で、社会生活に根ざした仏教の慣習が根強かったため、学力向上のためだけではなく、王族を儒学で教化することで、民の範とする意図もありました。けれども、このシステムは当初さほど機能しませんでした。

世宗(セジョン)は王族たちの仕宦を禁止し、王族たち用に宗親府(チョンチンブ)に官職が用意されました。特に勉学に励むことなく自動的にその官職を得ることができるうえに、努力による昇進の道は閉ざされていたのです。。そうなると、必然的に勉学に励むことは無意味となり、仮病を使ったりしてサボる宗親(チョンチン)が続出しました。

中でも有名なのがドラマにも出てくる太宗(テジョン)の庶子で首陽の叔父・温寧君(オンニョングン:온녕군)の弟です。彼の弟・恵寧君(ヘニョングン:혜녕군)はあまりにも態度が悪く、職の任命の証・職牒(チクチョプ:직접)と、下賜された教本を取り上げられるという大恥を欠かされました。

そのくらい宗学(チョンハク)は教える側にも教えられる側にも頭の痛いものでした。ですので、ドラマでの敬惠公主(キョンヘコンジュ)のなんとかして宗学(チョンハク)を回避しようという描写はそれなりに史実に沿ったものと言えます。

世宗(セジョン)は自分が天才で本の虫であっただけに、凡才がなぜ勉強したがらないのかわからなかったのかもしれませんね!

 

ところで、王女の男では敬惠公主(キョンヘコンジュ)宗学(チョンハク)を受けていましたが、どの資料を見ても宗学対象は「子弟」とはあっても「子女」とはありません。また、世宗は女や文盲者のためにハングルを考案したにもかかわらず、「朝鮮は女が文字を解さないため、中国のように女による政治混乱が起きなくて良いことだ」と言っているので、女子を宗学(チョンハク)に参加させたとは思えないのです。

王のバカ息子たちを教える宗学(チョンハク)ですが、形式上はエリート養成機関・成均館(ソンギュングァン)と同形式の授業を行ったとされています。そうなるともちろん漢字での授業ですので、敬惠公主(キョンヘコンジュ)に対して宗学(チョンハク)が行われた可能性は限りなくゼロに近いと思われます。

このあたりのことも含めて王女の男ではフィクション指数がかなり高いことを覚えておくとよいでしょう。

話は変わりますが、今日の放送、音質が悪いと思いませんでした?HDDに録画したものを聞いても音が良くないんですよね~。どなたか気になる方がいらっしゃれば教えてください!

ちなみに、吹き替えではなく韓国語の方です。

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