韓国歴史ヒストリア

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朝鮮通信使の落し物 「日東第一形勝」

      2012/11/26

朝鮮通信使とは、朝鮮王朝から日本への使節団です。

室町時代に3回、安土桃山時代・秀吉の時代に2回、そして江戸時代に計12回来ています。

今回は、江戸時代の第8回をピックアップしていきます。

 

 

「日東第一形勝」という言葉をご存知でしょうか?聞いたことのある方のほうが少ないですよね?

実は、鞆の浦(とものうら)の対潮楼に額として飾ってある文字で、日東(日本)で一番の景勝地という意味です。

この書をしたためたのは、第8回通信使の従事官(チョンサグァン:종사관)李邦彦(イ・バンオン:이방언)です。

従事官は正使・副使に次ぐ身分ですから、もちろん知識人の範疇に入ります。

 

今回このテーマを取り上げた理由は2つあります。

ひとつは地元広島のテーマだったこと。 厳密にはわたしの居住地は安芸の国のどまんなかで、鞆の浦は備後ですから、地元とは言えないのですが、今は同じ広島県です。

ちなみに安芸の国で朝鮮通信使を饗応した場所は蒲刈という島です。 更にいうと、鞆の浦とはあの宮崎駿監督の名作崖の上のポニョのモデルになった場所です。

 

もう一つの理由はトンイ。 現在NHKBSで放送している韓国時代劇ですが、この物語でトンイの夫である第19代朝鮮王粛宗(スクチョン:숙종)の御代の話であることです。

朝鮮通信使は徳川将軍の代替わりにその祝賀のために派遣されているのですが、ちょうど粛宗の御代に、徳川綱吉・家宣・吉宗と代が変わっており、3度派遣しているのです。

 

粛宗の御代の2度目の派遣が1711年(粛宗37)第8回の朝鮮通信使で、家宣の将軍襲名の祝賀のために派遣されました。

意外なところで粛宗と日本がつながっていました。

ところで、とあるブログに「景勝」ではなく「形勝」と書いてあるため戦略上優れていると取ることができると書いてありましたが、これはあやまりで、朝鮮語の「形勝(ヒョンスン:형승)」には地勢だけでなく景色が優れているという意味も含まれています。

また、朝鮮は武を軽んじ文を重んじる国でしたので、当該文官に武官の素養が高かったとは思えません。

 

いずれにせよ、この「日東第一形勝」の鞆の浦には埋立架橋問題という現代病が絡んでいます。

江戸までの道中、日本でもっとも美しい場所と書に残さずにはいられなかった景勝地を、埋め立て橋をかけようなんて言語道断だと思いませんか?

代替案はあるので、景観はそのままに、未来永劫その美しさを語り継いで欲しいものです。

 

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